TVを見ていて感化されてしまうもの。

最近、TVの料理を紹介する番組を見ていると困る時があります。

 

ですがそのおかげで助かる事もあるのでつい見てしまうのですが、最近の料理を紹介する番組の料理はどれも美味しそうに撮影しているのでそれを見て、今日の晩御飯これにしたいなと思う事が多すぎる事です。

 

もう晩御飯のメニュは決まっていて材料まで買ってきてあるにも関わらず、冷やし中華を放送していると冷やし中華が食べたくなって仕方ないんですよ。

 

TVの誘惑って凄いなといつも思う瞬間です。

 

昔はここまで誘惑されなかったんですけど、撮影の技術が上がったせいでしょうか。

 

食べる人も凄く美味しそうに食べてくれるのでいつも目が惹かれてしまいます。

 

晩御飯の買い出しに行く前ならありがたいのですが大体いつも帰ってきた頃に見るのでどうしようもなくなってしまうんですよね。

 

でも次の日に思ってメモ書きしてそれを作ろうと思っていても寝て起きるとその気分でなかったりとするので参りますね。

 

TVの影響力が凄いなぁと思いつつ、何にするか迷っている時はありがたいです。

 

カレーを作っている時に美味しそうなカツを食べる番組をやっているとつい追加でカツを揚げてカツカレーにしたくなってしまうのでそういう時は本当に重宝します。

最近ではモンハン最新作のCMを見る事が増えて、ちょっと欲しくなってしまいました。

モンスターハンターワールド予約しようか悩みます・・・

 

お金というより、困ったことをなんとかしてやりたい。

お金稼ぎは個人的にやってきましたが、だんだん困ったることを解決するお手伝いをしてやりたくなってきました。

 

解決すると気楽になるし、困らないのが普通だし、人の頭がどこまでできるかっていう話になってきて、遠隔的な話になってきます。

 

頑張ると何かしらどこかが助けてはくれますが、正当なルートに尽きるなと思います。

 

本当は人がどの方向に行こうがどこかしらに当たるので大丈夫なのですが、違うスタンスをしながらやっていくことにすら理解しかありません。

 

正当な考えをする必要もありますが、自由をしたい時はそうし続けたいのはあります。

 

どっちに行ったって誰に何を言われても、粗探しなんかしたくないです。

 

その人がそうしたければやっぱりそうだからで、自分が正当な方法でそそくさやりたきゃその人はそうしたいんであって、どこまでも合わせる必要があったらの話だと思います。

 

そうしないと自由がないじゃんて思います。

 

この正統派なんなんて思いますが、言わずもがなで進まないかなと思います。

 

環境によってとかまだ言わなきゃならないのも何だろうなと思いますが、必要なことがもうそうじゃないんだけどなと思います。

 

考え事よりもうリフレッシュの方があり得ると思うしいつまで論じたいんだろって思います。

 

 

自分の思ってることでもない一般論

目指したことでもないことをやるのとか目指したことでもない一般論を論じたり、誰かがどっかでやってるであろう正しいと思われがちなことを一緒に語ってやって、卓上の論みたいに言わされる。

 

机上の論理みたいなことを言ってほしい世の中なわけ?私にとっては、とかすらあれなんですが、今の生活をぶっ壊されるくらいの論じよう、周りからしたら配慮を欠かれてるし、迷惑行為と言って叩き出してもいいくらいだと思います。

 

自分がしてない分誰かがその時間に時差的にやってたとしたら、その期間すらずれが出てるし、静かにやらされようとすりゃやってやれますが、ありぁとか、おばさんの声で言われるのすら生活に必要ないし、生活変わってとって続けられてるとすると気持ち悪いですよね。

 

一般論じゃなくて自分の言葉で言って欲しいよね。

 

金稼ぎすら個人差以外にありますか。

 

うざすぎてむかつくんですが、いつ誰も関わってこなくなるの?本当は自分のことをやるために人と関わるなんて避けたいはず。

 

まだ何なの不自由があるのかな。

 

もうちゃんともくそもないよな。

 

ちゃんととかまだ言うの?どっかから胸くそえぐいな!!!面倒くさいな。

 

泣くな。

 

まだ配慮欠いてる何かのせいで呼吸困難になればいいの?昔もあった。

 

 

小学校の5年生の時友達と自動車を作って乗りました。

一郎君は私の幼馴染でした。

 

保育園も一緒、小中学校も一緒でした。

 

彼とは小学時代よく遊びました。

 

彼はよくいろんなことを思いつく人でした。

 

鉛筆の頭のふくらみはとてもおいしいとか、手を嗅ぐと楽しいとか、ちょっと変わっていたと言えばそうなのですが。

 

小5のある日曜日だったと記憶します。

 

彼の部屋に入ると、一郎君はすぐに日めくりを見せてくれました。

 

全部が赤い数字なのです。

 

全部休日です。

 

私はうらやましくなって、作り方を教えてくれとせがみました。

 

でも一郎君は、これだけは教えられないと言いました。

 

 

次の日曜、私たちは自動車を作ろうという事になりました。

 

どこからか彼が拾ってきた自動車用のバッテリー、壊れた洗濯機のモーター、それらを取り付けられる丈夫な板。

 

これまた拾ってきた子供用の三輪車、大きめのハンドル。

 

準備万端、ワクワクし始めました。

 

どうしても自動車に乗りたい一心で、私たちは奮闘し完成したのです。

 

電気の知識も全くありません。

 

交流電流も直流電流も知りません。

 

ただあったのは手作りの車に乗って運転するというワクワク感でした。

 

スイッチを入れました。

 

うんともすんともいいません。

 

何度も試みましたが私たちは諦めました。

 

一郎君の提案で、近くの長い坂道に車を運んだのです。

 

乗り込んでハンドルを握りました。

 

車が動き出しました。

 

坂の傾斜はちょうどよかったのです。

 

私たちは歓声を上げ、運転を交代しながら何度も走りました。

 

それから15年たったある日、悲報が舞い込んできました。

 

一郎君が事故で亡くなったと。

 

信じられませんでした。

 

一郎君との思い出は特別です。

 

いつもひらめきを私たちに見せ、私たちを喜ばせてくれました。

 

短い付き合いだったと言えばそうですが、私にとってはいつまでも忘れることのできない「友人」なのです。

 

 

淡い月の光がそこにありました。

十九歳で大学に入学しました。

 

実家との往復のための交通手段は鉄道でした。

 

道のりは長く感じました。

 

道のりは長く、慣れないうちは何回も乗り継いで本線に乗り換えました。

 

山越の路線のスイッチバックの場所はもどかしい感じもありましたが、川の水の色、畑の広がり、どれも新鮮でした。

 

豊かな自然の中を平凡な感じのするディーゼルの列車は単調な音のリズムで走るのでした。

 

大概経由地の大きな市の中心街の駅で降りて、大きな書店に入り、長い時間立ち読みをしました。

 

新しい詩集に出会う時、とても得をした気分になったものです。

 

再び電車に乗り込みます。

 

いつも日が暮れていました。

 

小さな駅で停車し、再び列車が動き始めます。

 

ふと左側の窓に顔を近づけると、丸い月が見えました。

 

私は本を閉じて風景をじっと見ていました。

 

月の下に、わずかにその光を反射する水平線が見えました。

 

海は波が見えないほど静かで、濃紺に薄い乳液を混ぜたような色彩でした。

 

その所々に、月の色がかすかな黄みを届けていました。

 

停車している間も海を見続けました。

 

時間も忘れていました。

 

初めて感じる色彩がそこにありました。

 

切ないわけではなかったのです。

 

ただ美しかったのです。

 

何も考えず味わい続けました。

 

レールの音に気付いた時、沿線の切り通しが海の景色をさえぎりました。

 

次第に海が遠ざかって行きました。

 

 

 

二人のコレクターが身近にいます。

私の友人には、二人、コレクターかもしれないという友人がいます。

 

一人は文筆で生計を立てています。

 

文筆業といわれる世界について、私はあまり詳しくはないのですが、文筆業にも大手の出版社の正社員として仕事をする人もいれば、正式な契約とは別に文章を提供する場合などもあるようで、彼の場合正確なことは分かりませんが、相当な精神的なエネルギーを必要とするようです。

 

夕方に電話をしたりすると、「疲れて何もする気がしない」という言葉をよく聞きます。

 

「日々創造」、これは相当な困難さが伴うようです。

 

彼はささやかな楽しみを持っています。

 

それはエヴァンゲリオンに関係したフィギュアや、そのサウンドトラックのCDなどを、オークションで探して購入することです。

 

かつてテレビで放映されていた「電車男」の部屋ほどではなさそうですが、かなり集めたと言っていました。

 

実は私はエヴァンゲリオンのことはあまりよく分からないのです。

 

数えるほどしか見ていません。

 

登場人物の名前は忘れてしまいましたが、ある少女が「このまま死にたくない!」と叫ぶことで、それまでの殻を破ったように、驚くべき変貌を遂げていくシーンがありました。

 

彼はそのようなドラマティックなシーンをこれらのフィギュアを眺めることで彼の心によみがえらせているのではないだろうかと想像します。

 

もう一人は、アコースティックギターマニアと言ってもいいかも知れません。

 

1年程前に久しぶりに彼の自宅に遊びに寄りました。

 

ひとしきり話した頃、彼は何となく悪いことでもしてしまったかのような口調で言うのです。

 

「また買ってしまったんですよ」と。

 

彼が奥から持ってきたのはどれも有名なメーカーのグレードの高いものでした。

 

私の目はたぶん丸くなっていたでしょう。

 

彼のギターテクニックはけっして上手とはいえません。

 

でも彼はギターが大好きなわけです。

 

許せるのは、彼はそれらを買って、投資の対象にしてはいない、オールドの市場にそれらを出そうとは思っていないことでした。

 

でも正直、私はうらやましかったのです。

 

最近湿度調節のできるギターの保管庫を買ったそうです。

 

 

バイクに乗せてもらった私の眼球は歪んでいたでしょう。

高校生の時でした。

 

寝坊して、いつもは自転車で行くのですが、その日はバス停でバスを待っていました。

 

バイクが、でかい音でやって来て私の目の前に泊まりました。

 

バイクを運転していたのは私の幼馴染でした。

 

彼はヘルメットを脱いで、笑顔で言いました。

 

「乗れよ、学校だろう?」と。

 

私はバイクの後部にまたがりました。

 

彼はその途端に急発進しました。

 

張り切ったのでしょう。

 

爆音とともに私は後ろにのけぞりました。

 

落ちるんじゃないかと思ったほどです。

 

彼は私を乗せてすっとばし、8Kmの距離をあっという間に疾走しました。

 

正直、恐怖でぶっ飛びそうでした。

 

二つ目の経験です。

 

やはり高校時代です。

 

私もメンバーだったバンド仲間でドラムが叩けるメンバーを探しました。

 

新しくスカウトしたドラムスは吹奏楽部のテクニシャンでした。

 

私たちは嬉しくて練習が一層楽しくなりました。

 

ある日、夏休みに、あるステージで演奏することになりました。

 

人前で演奏する機会は滅多にありませんでした。

 

私は練習スタジオから会場まで、ドラムスのYのバイクの後ろに乗って移動することになりました。

 

125CCのバイクの前でYは私にヘルメットを手渡しました。

 

スタートし見通しの良い道に出た途端、ものすごいスピードで走るのです。

 

ヘルメットはごつごつとぶつかるし、風圧で目の表面が歪んでいる感触でした。

 

初めての経験でした。

 

やはりあっという間に目的地に着きました。

 

この二回の経験で、私の心の中に、バイクはおそろしい、という意識が刷り込まれたのだと思います。

 

ぶっ飛ぶ快感は分かるのです。

 

車を買う前に50ccの原動付自転車にちょっとの間だけ乗ったのが、私のバイク運転体験なのです。

 

 

クマバチに刺された女の子。

昔話です。

 

忘れもしません、小6の朝の教室でした。

 

人だかりができていました。

 

その人だかりの真ん中はS子さんの席でした。

 

何事だろうと人をかき分けてS子さんの姿を見た時ぶったまげました。

 

長かった髪はもうなくて、丸刈りの頭がありました。

 

その髪を刈った頭に、コールタールのようなものが手のひら大に丸く塗ってありました。

 

男まさりのS子さんも、さすがに神妙な顔で椅子に座っていました。

 

みんなどうしたのかとS子さんに声をかけていました。

 

静かになった頃S子さんは事情を話し始めました。

 

おてんばなS子さんでしたから遊ぶのは男の子とでした。

 

小学校から一番遠いところに住んでいたS子さんは、野山が遊び場だったようです。

 

その「事件」のあった日も雑木林で遊んでいたそうです。

 

誰かがあるものを見つけて、これは何だろうということになり、持っていた棒でバシバシとたたいたそうです。

 

彼女も一緒にたたいたそうです。

 

彼女が言うにはそれはクマバチの巣だったそうです。

 

当然ハチは攻撃してきます。

 

必死で逃げたけど頭を刺されたと言いました。

 

みんな息をのんでその話を聞きました。

 

クマバチというハチは、人をこんな姿にまでさせるのかと驚いたものです。

 

今思えば、よく命が助かったものです。

 

たくさん刺されれば命を奪われます。

 

S子さんはさすがに懲りたのかしばらくはおとなしくしていたようです。

 

ハチが一番攻撃的になる季節は秋です。

 

気をつけたいものです。

 

 

親子喧嘩のような家庭学習。

学生時代、たくさんの種類のアルバイトをしました。

 

友人の多くがしていたのに私がしなかったのは勉強を教えるアルバイトです。

 

理由は私の性格だと思います。

 

もう克服したつもりですが、「先のことばかり考えているうちに尻込みする」というものでした。

 

それだけでなく、数学と英語が苦手でした。

 

共通一次世代の少し前でしたので、受験教科に数学がなくその代わりに実技がプラスされるという大学がありました。

 

即、そこに決めました。

 

 

前置きはともかく、私の子供たちと暮らしていて、成長するにしたがってあることに気付きました。

 

それは自我の目覚めに従って、親の言うことを聞かなくても、十代後半、二十代の人たちの話には耳を傾けるということでした。

 

話の中身が同じであってもそうなのですから不思議なものです。

 

思春期の子は敏感ですから、友情や愛情を見抜くものです。

 

ひとたびその友情や愛情を感じ取ったら心を開きます。

 

心を開いたら吸収します。

 

家庭教師を推奨するつもりではありませんが、年齢の近い人から教えてもらう事には意味がありそうです。

 

長男が小三の時にとても苦しかったことを思い出します。

 

転校した先が複式学級で、彼は戸惑い、どうすればいいのか分からなかったのでしょう。

 

算数についていけないで助け船を求める息子に、妻は焦りもあってか、まるで親子喧嘩のような「自宅学習」の毎日でした。

 

やはりどこか傷ついたのでしょう。

 

息子が力を発揮できるまで長年かかってしまいました。

 

あの時、親ではなく年齢の近い若い人が彼にかかわり、学ぶチャンスがあったら、彼は早く変わっていたのかもしれないと思ったりします。

 

でも妻を責める資格は私にはありません。

 

息子を何とかしたいと必死だったのですから。

 

 

まさか私が事故を起こすとは夢にも思っていませんでした。

夏の暑い日曜日でした。

 

助手席に80才になろうとする母、後ろに当時中3だった息子を乗せ手運転していました。

 

はじめは安全のために後部座席に母を、前に息子を乗せていましたが、息子は希望高校の体験学習で疲れたらしく、後ろで寝かせてくれと言いました。

 

 

大きな事故を起こしたことのない私でしたので、問題ないだろうと息子を後ろに母を前に座らせました。

 

片道1時間ほどの予定でした。

 

行きは何ともなかったのですが、帰りに眠気が襲って来ました。

 

もう少し行けばコンビニがある、そこで眠気覚ましのガムとコーヒーを買おうと思っているうちに、何とほとんど意識がなくなってしまいました。

 

たぶん「眠ってしまった」のでしょう。

 

その時でした。

 

凄まじい衝撃音で我に返り何が起こったのかとしばらく理解ができませんでした。

 

ハンドルのエアバッグからもれる空気音、何かがこげるようなにおい、やっと車をぶつけたことが理解できました。

 

幸い対向車がなく、右に寄って行った私の車は対向車線を斜めに横切り側溝の蓋のそばの車止めを乗り越え、コンクリートの土止めの角にぶつかったのでした。

 

母はシートベルトをしていたため幸い飛び出すこともなかったのですが、息子は横になって眠っていたため跳ね上がり、不自然な格好になって腰をひねったようでした。

 

私は鎖骨がひどく痛みました。

 

近くの人がとんで来て通報してくれ、すぐに2台の救急車が来ました。

 

検査の結果、息子は骨盤にひびが入っていました。

 

不幸中の幸いで神経のほとんど働かないらしい場所で痛みのとても少ない部位でした。

 

母はシートベルトの圧迫による肋骨のひびが発見されました。

 

二人とも同じ公立病院のベッドが空いていてスムーズに入院でき、治療も順調に進み、予定より早く退院できました。

 

思いもしなかったまさかの事故でした。

 

体調管理と「安全運転」をその日から真剣に心がけています。